中之条文化財について

中之条には、宮川神社をはじめ、念仏堂、姥懐の石碑群、道祖神など、古い歴史を持つ文化財が存在します。その概要を紹介致します。

宮川神社

創建は不祥であるが、「正元元年(一二五九)四月上之條村鎮守再建の棟札慶応の頃までは存続」(信濃国小県郡年表)とあるので、創建はそれ以前と考えられる。
祭神は神功皇后・応神天皇・玉依比賣命。応神天皇は八幡神として知られる。
八幡神は土着の信仰や外来の仏教を巻き込み武家の守護神として広まった。
応神天皇は四世紀末実在した最初の皇。 神功皇后はその母、玉依比賣命は特定の人を指しておらず、神と人を仲介する巫女の機能を持つ神と言われる。
敷地は鎮守八幡宮境内 南北縦二一間 横一五間 三五七坪である。
境内には八幡神社以外にも村内各神社が移宮されており、社寶は古面三個である。

念仏堂

中之条字西町三番地(3ブロック県道沿い)に大きな墓地がある。 この墓地の一隅に古びたお堂があり、区民の方は「念仏堂」と呼び、戦前までは地域住民が亡くなると、このお堂で盛大な野辺送りの葬儀が行われたという。
このお堂は諏訪部村浄土宗芳泉寺の支配寺阿弥陀堂であるが、建立に至る沿革は次のような 状況である。
万治三年(1660年)、当時の中之条村字観音堂地籍(現在の千曲町)にあったお堂の維持が困難となり、これを取壊し、字西町(現在地)に阿弥陀堂を建設した。 建設資金一両を当時に庄屋と芳泉寺がそれぞれ弐分負担した。
本尊の阿弥陀如来は身の丈二尺の立像で、木は佐久郡より調達されたとあり、芳泉寺の順誉和尚自ら刻んだものであるとも言われている。

姥懐庚申坂(うばふところこうしんざか)の石碑群

旧古船橋から旧町通り(東町・西町にはさまれた通り)を抜け、別所街道を進むと緩やかに曲がる姥懐地籍の庚申坂に至る。(御所園から県道に向かい児童公園南側フェンス沿いの道を上がっていくと右側に竹藪があり、そこに石碑群がある)
その街道の北側に南向き斜面があり、斜面に沿って西側と東側に二群の石碑が並んでいる。
西側:庚申塔、馬頭観世音、道祖神等9基
東側:南無阿弥陀仏徳本、庚申塔、奉納大乗妙典本斎翁(念仏堂の僧侶)等5基

道祖神

道祖神は、お地蔵様、庚申塚、十三夜灯などと類似な、素朴な民間信仰である。道祖神は道の神、村を守る神、旅の神として庶民の素朴な信仰対象として祀られている。
中之条には、道祖神石碑が上組、下組、宮方、四ツ家、柳堂、六工、新道(2箇所)に安置されており、昔から子供のお祭りが行われてきた。
姥懐庚申坂の石碑群の中にも道祖神が一基安置されている。

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